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n1必備語法

圖文 更新时间:2024-12-27 00:24:50

n1必備語法(N1中的這些詞彙你讀對了嗎)1

浪漫櫻花季

1.せっかくの計畫がご破算(ごはさん)になる。

「ご破算」とは、算盤で、計算をもとに戻して、零にすること。転じて物事が台無しになり、最初の狀態に戻ることを表す「ごわさん」ともいう。

「ご破算」意為用算盤重新計算,算盤歸零。轉而意指事情辦糟了,也意為回到最初的狀态讀作「ごわさん」。

2.奉加帳(ほうがちょう)方式で自治會の集會所建設資金を募る。

「奉加帳」とは寺社への寄進の内容と寄進者を記した帳面のこと。ここから「奉加帳」を回して人々から資金を集めることを「奉加帳方式」という。「ほうかちょう」と言う人が結構いるが、「ほうがちょう」と読むのが正しい。

所謂「奉加帳」就是寺廟神社登記捐贈内容和捐贈者的帳本。由此傳遞「奉加帳」讓人們籌集資金的方法被叫作「奉加帳方式」。很多人将其讀成「ほうかちょう」,正确的讀法為「ほうがちょう」。

3.怪気炎(かいきえん)を上げる。

言葉から受ける感じから「快気炎」としたいところだが、「怪気炎」が正しい。「気炎」とは、盛んな意気の意味。「怪気炎」は「怪しく感じるほどの盛んな意気」ということである。

從語言角度接受的感覺是「快気炎」,但「怪気炎」是正确的。「気炎」就是指旺盛的氣勢之意。「怪気炎」指的就是氣勢兇猛到感覺怪怪的。

4.自らの出処進退(しゅっしょしんたい)をかけてプロジェクトを立ち上げる。

「出処進退」とは、「身の処し方」のことで、「出所進退を明らかにする」などと使われる。「出処」の「出」は「役人になること」、「処」は「役人にならずに家にいること」の意味。刑務所を出るわけではないので、「出所」とはならない。

「出処進退」意為去留的處理,也表達為「出所進退を明らかにする(用于明确去留)「出処」的「出」譯為成為官員,「処」譯為沒有成為官員呆在家裡。但并不是說從牢裡出來的意思,所以不能寫作漢字「出所」。

5.競争相手に対して大見得(おおみえ)を切って見せる。

「見得」は元來、歌舞伎などの大事な場面で役者が見せる大げさな表情やしぐさのこと。転じて、自信たっぷりな発言やしぐさをすることをいう。一方、「見栄え」とは人の目を気にして上辺を飾ることである。

「見得」原本是歌舞伎重要場合演員見面時做的誇張的表情和動作。由此轉變成自信滿滿的發言或動作。另一方面「見栄え」意為在意别人的眼光妝扮自己的外表。

6.容疑者が黙秘権(もくひけん)を行使する。

刑事ドラマなどを見ていて頻繁に耳にする言葉。自分に不利益な供述を拒否できる権利のことで、日本國憲法により全國民に保障されている。「犯罪を否定する権利」の意味ではないので「黙否」とはならない。「黙秘」は「言わずに黙り通すこと」の意味である。

看刑事電視劇中頻繁出現的詞。意思為根據日本憲法為保障全體民衆,有權利拒絕對自己不利的供述。但不是指否認犯罪的權利,所以不能用于「黙否」。「黙秘」意為不說話保持緘默。

7.教會の禮拝堂(れいはいどう)で神に祈る。

「禮拝」は「らいはい」「れいはい」のどちらとも読む熟語。ただしキリスト教の神に祈る場合は「れいはい」、仏を拝む場合は「らいはい」と読む。

「禮拝」可以讀作「らいはい」「れいはい」。但是在向基督教神祈禱時讀作「れいはい」,像佛參拜時讀作「らいはい」。

8.単刀直入(たんとうちょくにゅう)に話をする。

「一ふりの刀で敵陣に切り込む」の意。転じて、回りくどい方法を取らず、直接本題に入ることを言う。「短刀」で敵に切り込むのはちょっと無謀だ。

一把刀殺入敵人陣營之意。演變成不采用迂回的方法,直接進入主題。用短刀沖進敵人陣營是有勇無謀的做法。

9.破天荒(はてんこう)な作戦を練る。

「天荒」とは「未開の荒地」の意。科挙の合格者が出ず、「天荒」と呼ばれていた地方に、初めて合格者が出て「天荒を破った」と稱したという故事から、誰もとしたことがないことをやってのける様を「破天荒」というようになった。

「天荒」指未開墾的荒地之意。沒出現過科舉合格的人,未中過舉的地方初次出現了考中的人被稱作“破天荒”,從這個故事開始如果誰做出了别人從沒做的過事情就用“破天荒”來形容。

10.部下たちに大盤振る舞い(おおばんぶるまい)をする。

気前よく食事や金品を振る舞うことをいう言葉。「大番振る舞い」の誤りはともかくとして、実は「大盤振る舞い」も「椀飯振舞」の誤用が元で広まったものだとされている。

在吃喝,貴重物品方面顯得很大度。先不說「大番振る舞い」的錯用,其實「大盤振る舞い」也是「椀飯振舞」的誤用而被傳開使用了。

11.みんなあの男を毛嫌い(けぎらい)している。

「毛嫌い」は、はっきりした理由もなく嫌うことをいうが、語源は鳥獣が毛並みによって相手を嫌うと考えられていたことにある。嫌いなものを見るとゾクゾクツと総毛だつからではないらしい。

「毛嫌い」是指無需明确的理由就讨厭,詞源就是鳥獸類根據毛色判斷對對方的喜好。看到不喜歡的就毛骨悚然起來了。

12.気難しいがりやの彼が珍しく相好(そうごう)を崩した。

「表情を崩して、にこにこする」ことを「相好を崩す」という。「相好」は元來は仏教の用語で、仏の端厳微妙な容貌を形作る様々な優れた特徴を指す「三十二相八十種好」という言葉から。転じて「顔つき」「容姿」の意味で使われるようになった。

變臉微笑也叫喜笑顔開。「相好」本是佛教中的用語,指的是佛教中佛的各種端莊微妙容貌形狀特征的「三十二相八十種好」。後又轉變為“長相”“容貌”的意思。

13.彼はわが社にとって疫病神(やくびょうがみ)みたいなものだ。

「厄介、厄年」などからの連想で、つい「厄病神」としてしまいそうだが、「疫病神」が正しい。「疫病神」とは疫病を流行させる神のこと。転じて、「禍をもたらすとして人から嫌われる人物」の意味で使われるようになった。

從「厄介、厄年」聯想而來,最終變成了「厄病神」,但正确為「疫病神」。「疫病神」指的是讓疫病流行的神明。後來被用在帶來災禍讨人厭的人身上。

14.ご清聴(ごせいちょう)ありがとうございました。

「清聴」は他人が自分の話を聞いてくれることを敬って言う言葉。一方、「靜聴」は「靜かに聴く」の意味だ。したがって「ご靜聴ありがとうございます」などとは言わない。

「清聴」是對于别人聽自己的講話而表示尊敬禮貌的用語。另外「靜聴」是指安靜的傾聽之意。但沒有「ご靜聴ありがとうございます」的表達用法。

15.秘策が功を奏する(こうをそうする)

「功を奏する」は、もともとは「事の成功を君主に申し上げる」の意味。ここから「目的どおりに物事を成し遂げる」の意味で使われるようになった。二字熟語の「奏功」も同じ意味の言葉だ。

「功を奏する」原義是将辦好的事向君主彙報。而這裡的用法是指按照目标如願達成之意。同二字複合詞「奏功」是相同的意思。

16.わが社の方針は上意下達(じょういかたつ)で決められる。

「上意」とは「君主のお考え」のこと。上の者の意思や命令を下の者に徹底させることを「上意下達」という。もっとも最近ではもうちょっとしゃれた言葉で「トップダウン」などということが多い。ちなみにこの言葉の対義語は「ボトムアップ」という。

「上意」指的是君主的想法。把領導層的想法,命令徹底傳達給下級稱為「上意下達」。而最近出現了一個很多人都說的時髦新詞「トップダウン」,而它的反義詞是「ボトムアップ(自下而上)」。

17.一見(いちげん)さんお斷りの店。

「いっけん」とも「いちげん」とも読む言葉だが、ここでは「いちげん」が正しい。「いちげん」とは紹介もなしに初めて來た客のことである。

「いっけん」和「いちげん」的讀法都有,但這裡讀作「いちげん」。「いちげん」意思為沒有經他人介紹初次來的客人。

18.政治と経済の動きが軌(き)を一にする。

「軌」とは「わだち」の意味。「わだちを同じくする」の意味から、行き方が同じであることを「軌を一にする」という。ちなみに「一にする」は「いちにする」ではなく「いつにする」と読む。この點も間違いやすいので注意が必要だ。

「軌」就是「わだち(車轍)」的意思。從把車轍做成相同的,以此引申為行進的方向一緻而叫作「軌を一にする」。同時「一にする」不讀成「いちにする」而是讀成「いつにする」。讀音也是很容易出錯的地方要多注意。

19.相手の言葉に相槌(あいづち)を打つ。

「相槌」は向き合った鍛冶の師と弟子が交互に槌を打ち合ったことからきた言葉。人の言うことに調子を合わせたりうなずいたりすることをいう。相手に調子を「合わせる」からといって「合槌」と書くのは誤り。

「相槌」是指打鐵的師徏面對面一人錘相互練鐵而來的詞語。也形容邊聽别人說話邊點頭的樣子。但不能因為是跟着對方的節奏就寫成「合槌」是錯誤的。

20.剛毅木訥(ごうきぼくとつ)仁に近し。

「剛毅木訥仁に近し」とは、「意志が強く、口數の少ない飾り気のない人は、道徳の理想とする『仁』に近い」という意味。「木訥」は「樸訥」と同じ意味だが、原典の「論語」に従って「木訥」と書くのが本來の表記。

所謂「剛毅木訥仁に近し」指的是意志堅強,說話不掩飾的人,接近于我們道德理想的『仁』字。「木訥」和「樸訥」是相同意思,但在《論語》原書中寫為「木訥」。

21.奇しくも(くしくも)娘の誕生日は祖父の命日と同じであった。

「不思議にも」の意味を表す「奇しくも」は文語の「奇し」の連用形に助詞「も」の付いたもの。したがって「きしくも」とは読まない。

「奇しくも」就是不可思議的意思。是文言詞「奇し」的連用形後加助詞「も」。但是不讀成「きしくも」。

22.多くの有名人が一堂(いちどう)に會する。

多くの人が同じ場所に集まることを「一堂に會する」という。「一堂」とは「一つの建物」、つまり「同じ場所」という意味だ。一方「一同」は「みんな」「全員」の意味。どうしても「一同」という語が使いたければ、「一同が會する」とすべきだろう。

很多人聚積在同一個地方用「一堂に會する」來表達。「一堂」就是一個建築,也就是說同一個場所的意思。另一方面「一同」是大家,全員的意思。如果想使用「一同」這個詞語來表達時,則應該使用「一同が會する」來表達。

23.舞台で見せた彼の演技はまさに圧巻(あっかん)だった。

「圧巻」は書物や催し物の最も素晴らしい部分のこと。「巻」は、試験の答案を指す。昔の中國の科挙制度では、最も優秀な答案を他の答案の上に置いたことから「他を圧する答案」の意味でこの語が生まれた。

「圧巻」指的是書籍或是集會活中最精彩的部份。「巻」指的是考試答案。從前中國的科舉制度,把最優秀的答案放在其他答案之上,而被表達為「他を圧する答案(勝過其他人的答案)」從此誕生了「圧巻」一詞。

24.これからのことは何も知らされていない。まさに五裡霧中(ごりむちゅう)の狀態だ。

深い霧が立ち込めて、全く方角が分からない狀態に陥ること。転じて、何の手がかりもなく、判斷に迷うことをいう。昔、張楷という人が道術によって五裡四方にわたる霧を起こしたという故事に由來する。

起濃霧,陷入沒有方向的狀态。後來又形容沒有任何線索,不知如何判斷。此詞語出自從前有一個叫張楷的人使用道術讓方圓五裡起了霧的故事。

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